富士山麓観光を楽しむ前に知っておきたい!構成資産と「修験者と登拝」

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日本の象徴的スポットとして、国内外の観光客から絶大な人気を誇る富士山。平成25年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、ますます注目を集めいています。そんな富士山ですが、世界文化遺産に登録される際に、25ヶ所のスポットが構成資産として登録されているのはご存知でしょうか?これらのスポットは古くから行われてきた富士山信仰と深い関わりを持っています。今回は、知っていると富士山麓観光がもっと楽しくなる、富士山の「修験者と登拝」とそれにまつわる観光情報をお届けします。

修験者(しゅげんじゃ)と登拝(とはい)とは?

富士山信仰の始まり

古来より大きな噴火を何度も繰り返してきた富士山。そんな富士山を畏れた平安時代初期の人々は、富士山が見える場所に「遥拝所」を建立しました。

そして遥拝所から、火の神「浅間大神」の怒りが鎮まるようにと、富士山を拝み崇める「遥拝」と呼ばれる信仰がはじまりました。

遥拝がはじまったころは、富士山そのものが神様という考えから、富士山に踏み入ることは禁忌とされていたのです。

噴火が静まった頃、人々は富士山に登るようになった

富士山の噴火が収まった平安時代末期になると、富士山に登って霊力を得ようとする修験者たちが、山中に足を踏み入れるようになったのです。そして修験者たちが富士山に登りながら仏に拝む行為を、登拝と呼びました。

修験者のなかで特に有名なのが、富士山に数100回登ったとされている末代上人と呼ばれる人。末代上人は富士山頂に大日寺を構えた人物ともされています。

そして修験者たちが登拝を重ねるうちに、登山道がひらかれていき、15世紀から16世紀ごろになると、修験者に引き連れられて一般の人々も富士山に登拝するようになっていきました。

富士山麓には、この修験者や登拝にまつわる歴史的スポットが、今も数多く残されています。そしてそれらは、富士山が世界遺産になった際に、その構成資産として登録されました。

村山浅間神社

かつて富士山における修験道の中心として栄えた村山。そんな村山に鎮座するのが「村山浅間神社」です。もともとこの場所は富士山興法寺というお寺でした。そのため村山浅間神社は、現在では珍しくなった境内に神仏が祀られている神社でもあります。

こちらが富士山興法寺大日堂。大日堂は、鎌倉時代に末代上人にまつわる修験者たちによって建立されたといわれています。実は神社と寺院が同じ地に存在するのは大変珍しいこと。それは明治時代に行われた神仏分離令が原因です。当時の廃仏毀釈運動と呼ばれる運動により、多くの寺院は取り壊されてしまいましたが、ここ大日堂は取り壊されずに残りました。現在の大日堂は平成27年3月に修復が完了したものです。

内部には大日如来坐像や役行者(えんのぎょうじゃ)像などが祀られています。

こちら全てが大日如来坐像。一番左のものは文明10年(1478年)のものです。そして真中の大日如来坐像が正嘉3年(1259年)、一番右の大日如来坐像が室町時代末期から桃山時代頃のものとされており、悠久の歴史を感じさせます。

廃仏毀釈運動によって破壊されてしまった大日如来坐像も。

大日堂の隣には水垢離場(みずごりば)が今も残っています。この水垢離場は、富士登拝の道者や修験者が身を清めた場所です。水の落ち口には不動明王の石像が安置されています。当時の人々はこの不動明王に登山の安全を祈願しました。写真では水のない状態ですが、毎年富士山の開山式の日には、地元の中学生たちが水に打たれて水垢離を行う文化が残っています。

また境内の一角には、外国人で初めて富士山登頂に成功したラザフォード・オールコックの登山150周年を記念する記念碑も。実はオールコックは登山の際に、ここ村山浅間神社を訪れ、村山浅間神社横の村山口から富士山に登ったのです。

こちらがその村山口。今でもここから富士山頂まで登ることができますが、六合目までのルートには私有林や国有林が含まれているので、通行するには許可が必要です。

須山浅間神社

須山浅間神社は、富士山南麓に位置する浅間神社です。須山浅間神社の歴史は古く、少なくとも室町時代には既に存在していたものとされています。

ここは富士山の登山道であった須山口登山道の起点となった神社でもあります。須山口登山道は、1707年に発生した宝永大噴火の際に道が閉ざされてしましましたが、その後地元の人々の力によって復興されました。現在は、富士山須走口登山歩道として再整備されています。

境内には樹齢400年を越す御神木も。この御神木の高さは48m、胴回りの太さは約8mもあります。

また参道を登りきった場所にあるこの石灯籠は、1742年(寛保2年)に作られたもの。灯りを灯す火袋の部分に、ハート型の模様があるのがわかりますか?

この模様、実はハートではなく、猪目(いのめ)模様と呼ばれるもの。この猪目模様は奈良時代から日本に伝わるもので、火除けの意味が込められています。

そして石灯籠の猪目模様越しに覗いてみると、このような風景が。灯籠の向こうに立って記念写真をとると、ハート越しの写真が撮影できます。

こちらは須山浅間神社オリジナルの御朱印帳。御祭神である木花咲耶姫をイメージした桜の花びらと石灯籠、そして富士山の姿があしらわれた可愛らしいデザインが特徴です。

冨士浅間神社(須走浅間神社)

冨士浅間神社は、須走口登山道の起点となった神社です。江戸時代には、周辺に宿場町があり、登拝に望む富士講の人々で大変賑わった場所とされています。

こちらは冨士浅間神社の手水舎。この手水舎にはちょっとした見どころが…。

手水舎の縁をよく見てみると、見ざる言わざる聞かざるの3匹の猿が。実は浅間神社の主祭神である木花咲耶姫と猿は深いつながりがあるのです。その昔、富士山頂を目指していた木花咲耶姫が道に迷った際、3匹の猿が現れて道案内をしました。そして無事に山頂へたどり着いた木花咲耶姫は、3匹の猿に御礼を告げるとともに、このことは誰にも言わないようにと言い残したそうです。その後、3匹の猿は「見ざる聞かざる言わざる」の三戒を守ったと言われています。

さらに参道を進むと、冨士浅間神社の狛犬が。この狛犬達は通称「富士塚の狛犬」と呼ばれています。そして特徴的なのが、狛犬たちが鎮座している岩。実はこれ、富士山の噴火による溶岩で造られたもので、富士山信仰のひとつである「富士塚」を模しています。また狛犬が3匹いるのがわかるかと思いますが、これは獅子が生まれたばかりの子に試練を与える為に谷の下に落とす「獅子の子落とし」を再現したもの。

そしてこちらが社殿。冨士浅間神社の社殿は、権現造と呼ばれる、本殿・幣殿・拝殿が一体となったものです。現在の社殿は、宝永大噴火後に当時の遺構を残しつつ、修復・修繕がなされてきました。

社殿の中には少し珍しいポイントが。通常、神社の本殿や拝殿の神前に置かれている鏡(神鏡)は丸い形をしていますが、冨士浅間神社の神鏡は富士山の形をしているんです。普段は社殿の中に入れないため、外から眺めることしかできませんが、訪れた際はぜひチェックしていただきたいポイントです。

そして冨士浅間神社には、もう一つ注目すべきスポットが。それが裏参道鳥居近くにあるモミの木です。この木は縁結びの木と呼ばれています。それは、モミ・ブナ・カシ、3本の木の根が絡み合っているから。また根の部分が根上りしている点も注目していただきたい点です。真ん中に空いているすき間は、小学生低学年くらいまでなら通り抜けることができ、このトンネルを潜ると人間関係にご利益があるとされ、小学校入学前のお子さんを連れて訪れる方も多いのだとか。

また境内西側に鎮座するこちらの木も見どころ。この木は、ハルニレの木といい、元々は北海道など寒冷地に生息する木で、温暖な静岡県で見られるのは非常に珍しいこと。樹齢は推定400年とされ、見上げてみるとその大きさに圧倒されます。

三保松原

静岡県静岡市清水区にある「三保松原」は、日本での有数の景勝地です。三保松原の見どころは、なんといっても三保半島越しに望む富士山の美しさです。

そして、海岸線7kmにわたって生い茂る約3万本のクロマツも、この美しい景観のアクセントとなっています。

三保松原は、富士山麓から離れた場所に位置するため、当初構成資産から除外される予定でした。しかし三保松原が「富士山の代表的な景観地」であることや、「東海道名所図会」や「絹本著色富士曼荼羅図」などに描かれているなど、「芸術の源泉」「信仰の対象」としての側面が評価され、逆転登録される運びとなったのです。

今回ご紹介したスポットを巡るモデルコース!

富士山世界文化遺産「カワイイ浅間神社、ご利益めぐり」

世界文化遺産「富士山」構成資産に存在する、カワイイをテーマにしたモデルコースです。
固く捉えがちな世界文化遺産遺産「富士山」の意外な魅力を見つけてみました。

ルート:
各地

士浅間神社(須走口)(見ざる言わさる聞かざる、三戒の浅間神社)

須山浅間神社(御殿場口)(ハートの灯篭のある、室町時代頃からの浅間神社)
※可愛らしくも日本古来からの伝統が垣間みられる場所のひとつ

富士山かぐや姫ミュージアム(富士山頂に帰って女神となるかぐや姫伝説の由来)
※2016年4月開館、浅間神社の御祭神でもあるかぐや姫の由来を見られる

富士山本宮浅間大社(富士宮口)・富士山世界遺産センター(仮称)
※12月開館予定
※ご神木は境内の桜樹たち、かぐや姫(木花咲耶姫)の御神徳とも言われている

各地

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