世界遺産・富士山を観光する方必見!構成資産25スポットをご紹介

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日本の世界文化遺産である富士山。富士山は2013年にユネスコの世界文化遺産に登録される際、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名で登録されました。これには、富士山が「信仰の対象」「芸術の源泉」となった価値を具体的に証明する25の構成資産が含まれています。古来より霊峰とされ山岳信仰の代表的存在であった富士山は、時に人々の心の拠り所であり、時に芸術面で大きな影響を与えてきたのです。ここでは、そんな富士山の構成資産全てをご紹介。この構成資産を知ることで、世界文化遺産である富士山の本当の姿が見えてくるでしょう。

構成資産No1.富士山(富士山域)

古くから人々の信仰の対象となり、芸術を生み出してきた富士山。富士山域には9つの構成資産が集まっており、大変重要な地域とされています。

構成資産No1-1.山頂の信仰遺跡群

富士山信仰とは山岳信仰のひとつで、富士山そのものを神と見立てるなど、何らかの形で富士山を信仰・崇拝の対象とすることです。山頂部には、火口壁に沿って神社の社殿をはじめ多くの富士山信仰に関連する場所や施設があります。

例えば、全国に約1,300社ある浅間神社の総本社「富士山本宮浅間大社」の奥宮や、山頂付近に湧き出る水として祠が祀られ信仰の対象にもなっている「金明水」「銀明水」、富士山本宮浅間大社の末社である「久須志神社」など。

富士山信仰の原型は縄文時代以前に遡るともいわれていますが、実際にこれら富士山信仰に関連する場所や施設を建立したのは、12世紀の修行僧・末代上人が起源といわれています。

また、昔の人たちは富士山を信仰する形として山頂周辺にてご来光を拝み、浅間大神や大日如来などの神仏を拝して火口に賽銭を投げ、剣ヶ峰・白山岳・大日岳など富士山頂にある8つの峰を巡る「お鉢巡り」というものを行なっていました。

現在でも信仰の表れとしてお鉢巡りを行ったり、観光の一部として行ったり、時代は変われど富士山信仰の形が今日に継承されている証といえます。もしお鉢巡りをする場合は、下山の体力が残せるかしっかり確認してから行ってください。

そんな信仰遺跡群がある富士山頂付近はやはり景色が最高です。もちろん天候に左右されることが多いですが、天気の良い日は青々とした緑が眼下に広がり、雲の多い日はどこまでも続く雲海を見ることができます。特に夜明け前の空なんかは言葉にできないほどの美しさがあり、登山の疲れなんか一瞬で吹き飛ぶでしょう。

構成資産No1-2.大宮・村山口登山道(現・富士宮口登山道)

大宮・村山口登山道は、富士宮市街地にある富士山本宮浅間大社を起点とし、富士山麓にある村山浅間神社を経由、そして山頂南側に至る登山道です。6合目以上が世界遺産として登録されています。

現在では5合目地点まで自動車で登ることができますが、12世紀の修行僧・末代上人が活動をしていた時代から信仰に伴う登山が始まりました。その後、室町時代頃には一般人が宗教行為として登山を開始。その様子は、信仰を絵で説明する絵解きに使用されていた「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれています。

この事柄から分かるように、大宮・村山口登山道は信仰の対象としての富士山を証明するために必要不可欠な要素です。

現・富士宮口登山道は登山口の標高が2,400mと、4つある富士登山道の中でも1番歩く距離が短く、自動車で5合目まで行けることもあり人気。途中新六合目あたりからは、1707年(宝永4年)に大噴火を起こしてできた「宝永火口」へ続く入り口もあるので、興味のある方はそちらへも足を運んでみてください。

構成資産No1-3.須山口登山道(現・御殿場口登山道)

須山口登山道は、富士山麓の南東に位置する須山浅間神社を起点とし、山頂の南東部へと至る登山道です。世界遺産としての価値を有しているのは、現在の御殿場口登山道となっている標高2,050m以上と、古くから安産の神として信仰を集めてきた「須山御胎内」周辺となっています。

須山口登山道は、『廻国雑記』という書物で15世紀末期にはその存在があったことを確認できます。そして、1707年(宝永4年)の宝永噴火によって壊滅的な被害を被りましたが、その後1780年(安永9年)に登山道が復興しました。

しかし、1912年(明治45年)に須山口登山道の一部が旧陸軍演習場の区域になってしまい使えなくなったため完全に衰退。現在では、標高1440mから始まる「御殿場口登山道」として使用されています。

須山口登山道1合目付近には、村山浅間神社の修験者によって使用されていたであろう行場や参拝所が残されているほか、須山御胎内もあります。

構成資産No1-4.須走口登山道

須走口登山道は、富士山麓の東に位置する冨士浅間神社(須走浅間神社)を起点とし、標高約3,370mで吉田口登山道と合流、そして山頂の東部へと達する登山道です。世界遺産としての価値を有しているのは、5合目以上となっています。

須走口登山道の起源は明確ではないものの、標高約2,925m地点で、「至徳元年」と記された「懸仏(かけぼとけ)」と呼ばれる信仰のために使う用具が出土。また戦国時代の年代記『勝山記』の1500年(明応9年)の項目に、須走口登山道の記事が見られるため、古い時代から富士山信仰で登拝する人々が使っていたと分かります。

18世紀後半には、富士山信仰のため須走口登山道を使う人が年平均約10,000人に達し、1800年(寛政12年)の「御縁年」の年には23,700人にも及びました。1959年(昭和34年)には5合目まで道路が通り、5合目以下の区域を使う人は少なくなりましたが、近年再整備され少なからず利用する人がいます。

そんな須走口登山道は5合目から山小屋が複数あり登山に最適です。

構成資産No1-5.吉田口登山道

吉田口登山道は、富士山麓の北に位置する北口本宮冨士浅間神社を起点とし、山頂の東部へ至る登山道です。世界遺産としての価値を有しているのは、登山道の全区間となっています。

遅くとも13世紀から14世紀にかけて、山に籠って厳しい修行をする修験の拠点とされていた吉田口登山道。戦国時代の年代記『勝山記』には、15世紀後半多くの道者が吉田口登山道から登拝していたことを読み取ることができます。

18世紀前半には、主に富士山とその神霊への信仰を行う「富士講」の指導者・食行身禄が信者の登山本道を吉田口登山道に定めたことから次第に利用者が増加。18世紀後半以降は、他の登山道を軽く凌ぐほど多くの道者・富士講信者が吉田口登山道を経て山頂を目指しました。

現在では、山麓から山頂までの登山口が唯一構成資産となっている登山道です。道中には山小屋が多く、山頂まで行かなくてもご来光を拝めるということもあり、多くの登山者に利用されています。

登山道には、食行身禄が悟りを得たと伝えられる烏帽子岩神社や、富士講を結成した人々に開祖として崇拝された長谷川角行が修行をしたといわれている御座石、水の神様である八大竜王が祀られている亀岩など見所多数。

5合目から登山を開始することもできるので、その点も嬉しいポイントです。

構成資産No1-6.北口本宮冨士浅間神社

北口本宮冨士浅間神社は、富士吉田市にある神社です。日本古代史上の伝説的英雄とされる皇族・日本武尊(やまとたけるのみこと)が富士山の神霊を遥拝した際、祠を建てて祀ったのが始まり。遥拝とは、遠く離れたところから神仏などを拝むことです。

北口本宮冨士浅間神社には、富士山の女神・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天照大神の孫・彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)、山の神・大山祗神(おおやまづみのかみ)が祀られています。

古くから富士山の遥拝地として信仰を集め、江戸時代に富士講が広まると多くの人が北口本宮冨士浅間神社を参拝し、それから吉田口登山道で富士山の頂上を目指しました。

北口本宮冨士浅間神社は現在、東宮本殿・西宮本殿などが国の重要文化財に指定。また、市の指定文化財である隋神門、樹齢約1000年の冨士夫婦檜・冨士太郎杉は共に迫力があり、北口本宮冨士浅間神社の見所です。

さらに毎年8月26、27日には、富士山の噴火を鎮める「吉田の火祭」が行われるので、ぜひそちらも見てみてほしい行事となっています。

構成資産No1-7.西湖(さいこ)

西湖は富士河口湖町にある湖で、富士五湖のひとつです。9世紀半ばまでは剗の海(せのうみ)と呼ばれる巨大な湖でしたが、864年(貞観6年)に起こった富士山の大噴火により溶岩流が湖の大半を埋め、現在の西湖が形成されました。

かつて富士講の開祖として崇拝されていた人物・長谷川角行が自筆したとされる文書に、西湖を含む8つの湖沼で「八海水行」と呼ばれる修行を行ったことが記されており、16世紀後半から富士講信者の間で「内八海巡り」という行法が定着。水行の場として巡礼の対象にされてきました。

そんな西湖は多くの芸術作品とゆかりが深い景勝地でもあり、「逆さ富士」と呼ばれる絶景の名所でもあります。淡い藍色をした水と、青木ヶ原樹海に囲まれた神秘的なスポットです。

構成資産No1-8.精進湖(しょうじこ)

精進湖は富士五湖のひとつで、富士五湖のうち最も小さい湖と知られています。また精進湖も西湖と同じく、「内八海巡り」で巡礼される湖で古くから富士山信仰と縁の深い湖でした。

精進湖は小さいながら美しい湖としても有名で、イギリス人、ハリー・スチュアート・ホイットウォーズによって既に明治時代に海外で紹介されています。

なんでそんなに美しいのかというと、精進湖から富士山を望む景色が良いことはもちろん、レジャースポットとして開発されていない大自然が残っているからです。

精進湖を訪れた際はぜひ「パノラマ台」と呼ばれる山へハイキングに出かけてみてください。そこからは山下に本栖湖、精進湖、西湖、河口湖が見え、富士山と青木ヶ原樹海を一望でき、天気が良ければ駿河湾と日本アルプスが望めるという大絶景と出会うことができます。

構成資産No1-9.本栖湖(もとすこ)

本栖湖は富士五湖のひとつで、富士五湖のうち最大の水深がある湖です。本栖湖も西湖、精進湖と共に「内八海巡り」で巡礼される湖で古くから富士山信仰と縁の深い湖でした。

本栖湖で広く知られていることといえばやはり、1,000円札の裏に描かれている富士山と同じ景色が見られるということ。この1,000円札の富士山は、生涯富士山を撮り続けた写真家の岡田紅陽さんが撮影した逆さ富士で、本栖湖の北西にある山を30分ほど登った少し特殊な場所で撮影されています。

また本栖湖はウィンドサーフィンが盛んで、夏には多くの人が訪れる人気スポットです。さらにブラウントラウトやニジマス、ヒメマスの釣り場としても賑わい、景色や遊びを楽しめる場所として全国から観光客が足を運んでいます。

構成資産No2.富士山本宮浅間大社

富士山本宮浅間大社は富士山を神体山として祀っている神社です。神体山とは主に神が宿る山とされており、「霊峰」と呼ばれることも。富士山はその代表的な山でもあります。

また富士山本宮浅間大社は、富士山を神格化した浅間大神(あさまのおおかみ)を祀っている「浅間神社」の総本宮で、富士信仰の中心地としても有名です。

そもそもなぜ富士山を神格化し祀ったかというと、それは第7代孝霊天皇が在位している時代に富士山が大噴火を起こしたから。周辺地域は荒れ果て、住民が途方に暮れている姿を憂いた第11代垂仁天皇が浅間大神を山足の地に祀ったのが富士山本宮浅間大社の起源とされています。

その後12世紀頃から源頼朝・北条義時・武田信玄と勝頼親子など武将の信仰を集め、特に徳川家康からは手厚い保護を受けました。本宮の本殿はその徳川家康によって造営され、「浅間造(せんげんづくり)」という神社建築としては特殊な形式で建てられていることから国の重要文化財に指定されています。

さらに境内にある「湧玉池(わくたまいけ)」は、国の特別天然記念物に指定。富士山にしみこんだ地下水が湧いており、平成の名水百選にも選ばれています。

また春には境内に植えられた桜が花を咲かせるので、開花時期に合わせて足を運ぶと大変美しい景観が楽しめるでしょう。

2017年12月23日には、すぐ近くに「富士山世界遺産センター」がオープン予定。富士山周辺観光において、より一層注目を集めているスポットです。

構成資産No3.山宮浅間神社

山宮浅間神社は全国に約1,300社ある浅間神社の一社です。浅間大神が最初に祀られた場所といわれていることから、山宮浅間神社は富士山本宮浅間大社を含む全国にある浅間神社の中で最も古い神社と考えられています。

起源は第12代天皇・景行天皇の時代。駿河国で賊徒の攻撃に合い追い込まれた日本武尊が、富士山の神様である浅間大神を祈念することによって窮地を脱し、その恩恵から山宮浅間神社を創建したといわれています。

山宮浅間神社は、他の神社と比べて珍しく御神体を安置する本殿がない神社です。代わりに富士山の方角を向いた遥拝所があります。これは噴火を鎮めるために富士山を遥拝・祭儀を行っていたためとされ、現代的な言い方をすると祭祀遺跡と呼ばれるもの。古代の富士信仰の形をとどめている貴重なものです。

そんな山宮浅間神社の敷地内では、祭祀に用いられたと思われる土器が出土していたり、遥拝所の周辺に岩になった溶岩を積み上げて構築した石塁があったりと、当時の様子を見てとることができます。歴史好きの方はぜひ足を運んでみてください。

構成資産No4.村山浅間神社

村山浅間神社は、全国にある浅間神社の一社です。孝昭天皇が在位していた時代に富士山中腹の水精ケ岳に創建。そして701年(大宝元年)に今ある地へ移されたといわれています。

村山浅間神社はかつて富士山興法寺(ふじさんこうほうじ)と呼ばれ、山へ籠もって厳しい修行を行い悟りを得る日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた「修験道」の中心地でした。その始まりは、富士山の噴火が沈静化した12世紀頃。その後、末代上人が山中で修行を行い、14世紀初頭には富士山の修験道が確立したとされています。富士山の修験道は、末代上人が開いた富士山興法寺を中心として発展していきますが、明治初年に出された修験道廃止令、廃仏毀釈といった仏教を排斥する運動により徐々に衰退していきました。

村山浅間神社は廃仏毀釈によって多くの仏像や経巻を失いましたが、現在でも境内には大日如来を祀る、かつて興法寺の本堂だった大日堂が神社本殿に並び立つなど、明治維新前の貴重なものを見ることができます。

構成資産No5.須山浅間神社

須山浅間神社は、富士山(富士山域)の構成資産でご紹介した須山口登山道の起点となる神社です。古くから、須山口登山道を歩いて山頂を目指す登拝者がこの須山浅間神社でみそぎを行い、登山の安全を祈願していました。

須山浅間神社は、景行天皇が在位していた時代日本武尊がこの地を訪れ須山浅間神社を創起。その後度重なる富士山の噴火にともない浅間大神を祀り、慰め奉ったのが始まりといわれています。

須山浅間神社は、1707年(宝永4年)の宝永噴火によって須山口登山道はじめ大きな被害を受け、現在ある本殿は1823年(文政6年)に再建されたものです。神社を囲う森には樹齢400年から500年ほどの杉の巨木が生えており、とても神聖な空気感を感じることができるでしょう。

構成資産No6.冨士浅間神社(須走浅間神社)

冨士浅間神社は、富士山(富士山域)の構成資産でご紹介した須走口登山道の起点となる神社です。江戸時代富士講が盛んな時期には多くの信者たちが足を運んでいました。

冨士浅間神社は、802年(延暦21年)に富士山の噴火が起こった際、鎮火祭を行い、火山活動が収まったことから、807年(大同2年)、鎮火祭の跡地に社殿を造営したのが始まりとされています。

境内の見所は他にもあり、神門正面向かって左側に広がる浅間の杜の一部には、県指定の天然記念物ハルニレの木が茂り、鳥居手前には県指定の天然記念物エゾヤマザクラが、そして境内入り口付近には滝もあり、自然豊かな神社。足を運ぶときっと清々しい気持ちにさせてくれます。

構成資産No7.河口浅間(あさま)神社

河口浅間神社は富士山の北麓に位置し、全国にある浅間神社の一社です。参道に沿って生える樹齢およそ800年の杉並木が、訪れる人の心に畏怖の念さえ抱かせてしまような迫力を醸し出しています。

河口浅間神社は865年(貞観7年)に浅間大神を祀ったのが始まり。というのも、「西湖」と「精進湖」を形成した貞観大噴火が864年に起こったからです。ちなみにこの時の噴火でできた溶岩流の上に1100年の時を経て生まれたのが「青木ヶ原樹海」です。

文献記録に残る富士山噴火の中で最大規模といわれている貞観大噴火は、富士山の北面に広がる街を飲み込み甚大な被害を出しました。そんな富士山を鎮めようと建てられた河口浅間神社は、1000年以上たった今でも富士山の神様を祀る社として建ち続けています。

河口浅間神社へ立ち寄った時は、社殿はもちろん周辺に生えている「七本杉」と呼ばれるご神木にも注目してみてください。これらはいずれも樹齢1200年を数える大木で、県指定の天然記念物に指定されており一見の価値があります。

構成資産No8.冨士御室浅間神社

冨士御室浅間神社は河口湖畔に位置し、全国にある浅間神社の一社です。昔から吉田口登山道沿いにおける富士山信仰の重要な拠点として位置付けられてきました。また冨士御室浅間神社は、本宮と里宮からなる神社ということも特徴。

本宮は699年(朱鳥14年)に富士山2合目に奉斉されたといわれています。その後807年までに社殿を創建。そして958年村上天皇により河口湖の南岸に里宮が創建されています。

本宮(奥宮)は、富士山の噴火による炎上や自然環境の厳しさから度々壊れ、その度皇室や武田家をはじめとする強力な武将らによって修復されてきました。現在の本殿は、1612年(慶長17年)に徳川家の家臣によって造営され、その後4度の大改修を経て永久保存するため1973年(昭和48年)に里宮へ移築されました。

現在見られる本殿は華やかで美しく、立ち寄った際はぜひ見てみてほしい建物。建築構造も桃山時代の特徴をもっていて珍しく、国の重要文化財に指定されています。

また毎年4月29日には、940年(天慶3年)に藤原秀郷が平将門の乱を鎮定した帰り、戦勝を祝って御礼祭を行い、流鏑馬(やぶさめ)を奉納したことから始まった「武田流流鏑馬神事」が開催。迫力満点の流鏑馬を見に、全国から人が集まってくる人気のイベントです。

構成資産No9.御師 旧外川家(とがわけ)住宅

御師 旧外川家住宅は、主に富士講信者が登拝を行う際宿の提供や食事の世話をし、富士山信仰の布教活動や祈祷を行うことを生活の中心としていた御師と呼ばれる人が住んでいた家です。

御師 旧外川家住宅の母屋は1768年(明和5年)に建てられており、国の重要文化財に指定。御師の家の中で最も古い屋敷となっています。

御師の家には必ず一間、富士山の浅間神社を祀る「御神前の間」を備えているのが特徴です。これはいわば1つの神社があるのと同じことで、関東一円からやってくる富士講の信仰者たちはわざわざ浅間神社に行って拝まなくても、必要な祈りは全てこの御師の家で済ますことができたとされています。

また旧外川家住宅の敷地内には立派な御神木と庭があり、住宅内には富士講の指導者・食行身禄(じきぎょうみろく)の像や富士講の人たちが着ていた白装束などが展示されています。

御師 旧外川家住宅は、世界遺産富士山の構成資産に欠かすことのできないスポットです。

構成資産No10.御師 小佐野家住宅

御師 小佐野家住宅は、旧外川家住宅と同じく代々富士山の御師を勤めてきた家です。小佐野家住宅は現在も人が住んでいるため、実際の家は見ることができませんが、「富士吉田市歴史民俗博物館(ふじさんミュージアム)」に復元住宅が展示されています。

実物が建てられたのは1861年(万延2年)。住宅の形は、母屋と神殿が一体となっている江戸時代末期に作られた御師住宅としての典型です。奥行きのある母屋は一部2階になっており、屋根は本を伏せたような山形の形状をした切妻造りとなっています。

構成資産No11.山中湖

山中湖は富士山麓の東北にある湖で、富士五湖のひとつです。富士五湖の中では最大の大きさを誇り、富士山から最も近い距離にあります。

かつて富士講信者の間では、富士山麓の8つの湖沼を巡る水行「内八海巡り」が行われていました。そして山中湖はその湖沼のひとつとして、古くから富士山信仰と縁の深い湖となっています。

山中湖は、800年(延暦19年)に起こった富士山の噴火・延暦の大噴火で流出した溶岩流が桂川をせき止めできたのが始まりです。水深が浅いことから全面結氷することも度々あり、冬にはワカサギ釣りが盛ん。また近年ブラックバスが放流されたこともあり、釣り人たちに人気です。

周辺には別荘地が広がっており、写真撮影を楽しんだり、自転車でサイクリングをしたり、貸しボートで湖に出たりと穏やかな時間を過ごすにはベストなスポットでもあります。

構成資産No12.河口湖

河口湖は富士山麓の東北にある湖で、富士五湖のひとつです。河口湖も山中湖と同じく、「内八海巡り」で巡礼される湖で古くから富士山信仰と縁の深い湖でした。

かつて河口湖には自然な水の出口が無く、大雨で増水すると周辺の村々に洪水被害を出していたため、1865年(元治2年)に水不足で悩んでいた現・富士吉田市新倉の方面へ用水路が開発されたという歴史があります。

また、綺麗な富士山が見たいなら河口湖の北岸にある産屋ヶ崎がオススメ。富士山を眺めるのに最適なスポットとして有名で、春は桜と富士山が、夏は花火と富士山にある山小屋の灯、秋は紅葉と富士山、そして冬は雪をかぶった富士山など、四季を通していろんな富士山が見られるでしょう。

その他に、河口湖の東岸にある温泉街で富士山の恵み豊かな温泉を思う存分満喫することもできます。

構成資産No13.忍野八海 出口池

忍野八海は、8つの湧水池からなる富士山の構成資産です。約20年という長い年月をかけて富士山の雪解け水がろ過され、湧水となり8ヶ所の泉をつくっています。

なぜ忍野八海が富士山の構成資産になったかというと、この8つの泉「八海」が富士山信仰に関わる巡拝地として関わりがあるから。というのも八海それぞれに水中の主である八大竜王を祀っており、富士登拝を行う道者たちはこれらの泉でお祓いをしていました。

そんな忍野八海の中で1番大きな池、出口池。その昔「清浄な霊水」と呼ばれていた出口池は、第1の霊場として八大竜王のひとつ「難陀竜王」が祀られています。難陀竜王とは、適当な時節に雨を降らして百姓を喜ばせる竜王のことです。

忍野八海を巡る場合、出口池は他の池と少し離れた所にあるので足を運びにくいですが、比較的人も少なく自然な姿で泉を眺められるのでオススメです!

構成資産No14.忍野八海 お釜池

忍野八海のひとつお釜池は、忍野八海の中で最も小さな池です。第2の霊場として、難陀竜王と共に国を守り百姓を喜ばせながら、時に人間に姿を変え仏の説法を聞くという跋難陀竜王(うぱなんだりゅうおう)が祀られています。

そしてこの綺麗な泉には悲しい伝説が残されているのです。それは昔、年老いた父と美しい2人の姉妹3人で暮らしているところから始まります。ある日姉妹の1人がお釜池で洗濯していると、水中から大きなガマガエルが現れその子を引きずり込んでしまいました。慌てた父は村人を集め必死で探しましたが女の子は見つからず、結局残された2人は消えてしまった家族の冥福を祈りながらお釜池のほとりで一生を過ごしたというもの。この悲しい伝説から、お釜池は「大蟇(おおがま)池」とも呼ばれています。

水は光が当たった時美しいブルーがかった色となり、とても神々しい雰囲気に。訪れた際はぜひ、その瞬間をカメラに収めてみてください。

構成資産No15.忍野八海 底抜池(そこなしいけ)

忍野八海のひとつ底抜池。楕円形をした浅い池は、底に泥が堆積し正確な深さが分かっていません。第3の霊場として、古くから降雨を祈る「請雨法」の本尊として信仰を集めてきた釈迦羅竜王(しゃからりゅうおう)が祀られています。

そして底抜池にも1つの伝説が残されています。昔はこの池で洗濯をしたり野菜を洗ったりしていたのですが、誤って落としてしまうと渦に飲まれて消えてしまうといわれていました。どんなに探しても見つからない落し物。ですが後日落し物がお釜池に浮かび上がってくることが度々起こったのです。これは、池の底を抜けて地下の水脈で繋がっているお釜池へ流れ出ていたと思われ、名前の由来となりました。

底抜池の周りにはとちの木の大木や樹林が生い茂っており、静かで落ち着いた場所となっています。

構成資産No16.忍野八海 銚子池

忍野八海のひとつ銚子池は、絶えず水が湧いているわけでなく、湧いたり止まったりを繰り返す間欠的な湧水池です。第4の霊場として、悪い竜を食べ人々の災難を除く和脩吉竜王(わしゅきちりゅうおう)が祀られています。

そして銚子池にも1つの伝説が残されているのです。それは昔、厳粛な結婚式が執り行われている最中派手におならをしてしまった若い花嫁のお話で、あまりにその音が大きかったせいで隠すこともできず、まだ若かったこともあり結婚式の席を抜け出し銚子を持ったまま池に身を投げてしまったというもの。

そんな悲劇的な伝説もあってか、この銚子池ではその時花嫁が履いていたという草履が池の底に映って見えることもあるといわれ、また最近では縁結びの池とも伝えられています。

構成資産No17.忍野八海 湧池

忍野八海のひとつ湧池は、八海で最大の湧水量を誇り、揺れ動く水面、深い水底の景観が美しい忍野八海を代表する池です。また、潜水調査によると池の底から最奥部まで約55mあることが確認されています。

湧池は第5の霊場。時に怒らせると人や家畜を凝視し、一瞬で死に至らせるという徳叉迦竜王(とくしゃかりゅうおう)が祀られています。

また湧池にも1つの伝説が残されており、それは日本神話に登場する女神であり水の神、富士山本宮浅間大社にも祀られている木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)に関するもの。

昔富士山は幾度となく噴火し、周辺地域の人々を苦しませてきました。ある日また噴火が起こり、焼け付くような熱や喉の渇き、家の火事に困り果て人々は水を求めたのです。すると天地の間から「わたしを信じなさい。そして、永久にわたしをうやまうならば、私がみんなに水をあたえよう」と、大変美しい声が聞こえてきました。この声が木花開耶姫命といわれており、まもなく溶岩の間から水が湧き出しこの湧池になったと伝えられています。

湧池周辺には土産物屋や水車小屋など見所満載。さらに、ここから見える富士山がまた格別に美しいことでも知られているので、ぜひ実際に眺めてみてください。

構成資産No18.忍野八海 濁池

忍野八海のひとつ濁池は、阿原川に隣接している池です。第6の霊場として、雪山の頂きにある池に住み、文明を築いたとされる四大河を分け、大地に恵をもたらす八大竜王の中で最も徳の高い阿那婆達多竜王(あなばたつだりゅうおう)が祀られています。

特徴は名前の割に濁っていないこと。濁池というのはこの池に伝わる伝説が関係しています。それは昔、村人の飲料水として濁池の水が使われていた頃、みすぼらしい行者がやってきてこの池の地主に1杯の水を求めました。ですが、地主のお婆さんが行者を見た目で判断し無愛想に断ったのです。するとたちまち池の水が濁ってしまったとのこと。しかしその濁った水を器に汲むと、不思議なことにまた澄んだ水へ戻ったといわれています。

そんな不思議な伝説が残る濁池。春から夏にかけて周辺を青々とした緑が囲み、晴れた日には絵に描いたような穏やかな風景が広がります。

構成資産No19.忍野八海 鏡池

忍野八海のひとつ鏡池は濁っており、条件が整えば綺麗に富士山が映る、名前の通り鏡のような池です。

第7の霊場として、日照り続いても人々が7日間祈り続ければ、雨を降らせ大地に潤いを与えてくれるという慈悲深い竜王、麻那斯竜王(まなしりゅうおう)が祀られています。

鏡池には、昔から様々な事柄に対して善悪を見分ける霊力があるとされており、揉め事が起これば当事者が鏡池の水を浴び身を清め、平穏を祈願しました。

鏡池の水面に富士山が映った際はぜひ写真に収めて欲しいので、お出かけの際はカメラをお忘れなく!

構成資産No20.忍野八海 菖蒲池

忍野八海のひとつ菖蒲池は、大きな菖蒲が自生する池です。大人の背丈ほどに成長した菖蒲が見られたり、外来種であるキショウブが見られたりと今までの池とは少し違った雰囲気のある池。

第8の霊場として、青蓮華が咲く池に住み、人々に安らぎを与えている優鉢羅竜王(うはつらりゅうおう)を祀っています。

菖蒲池にも伝説が残されており、それは昔この近くで暮らしていた若夫婦のお話です。夫が肺の病にかかってしまった妻は、できる限りの力を尽くして世話をしていました。ですが夫の病は日を追うごとにひどくなる一方。追い詰められた妻はすがる気持ちで神仏に助けを求め、菖蒲池で身を清め、一心不乱に祈願しました。すると37日目に、池の菖蒲を体に巻くと病魔が退散するとのお告げを聞き、その通りに実践すると1ヶ月も経たないうちに快復したそうです。

そんな菖蒲池を含む忍野八海8つの池は、国の天然記念物に指定されており、名水百選にも選定されているスポット。富士山周辺を訪れた際はぜひこの地を訪れ、心和ませてくれる景色に触れてみてください。

構成資産No21.船津胎内樹型

富士北麓には、世界的にみても貴重な溶岩樹型洞穴群があります。そのなかでも船津胎内樹型は規模の大きい溶岩樹型洞穴です。

まず溶岩樹型は、噴火の際流れ出た溶岩が樹木を囲んだまま固まり、そのまま燃え尽きた樹木が空洞を作り上げ固まった溶岩だけが残るとできます。溶岩樹型には縦型や横型、流木型など様々なパターンがありますが、船津胎内樹型は横倒しになった樹木複数本が繋がってできた複合型と呼ばれるもので、規模が大きいことから人が入れる洞穴となりました。

船津胎内樹型は、富士講の開祖とされている長谷川角行が17世紀初頭富士登拝時に船津胎内樹型の一部を発見し、その内部に浅間大神を祀ったとされています。溶岩樹型洞穴内は胎内に似たようなつくりのものがあり、これが信仰の対象となって「胎内巡り」と呼ばれる信仰行為が行われるようになりました。そして、船津胎内樹型と吉田胎内樹型の2つは特に多くの富士講信者によって重視され、霊地として位置付けられたのです。

そんな船津胎内樹型は、全長約70mもあり先端へ進むにつれて細くなって行きます。洞穴の側壁は肋骨状だったり、一部に溶岩が流れ込んで内臓の様に見えたり、表面に細かなシワ模様があったりとまるで人の体のよう。

この自然が作り出した神秘的な空間は一見の価値があるでしょう。

構成資産No22.吉田胎内樹型

吉田胎内樹型は、船津胎内樹型と並んで富士信仰の対象となってきた場所です。937年(承平7年)に富士山が噴火した際、流れ出た溶岩によって形成されました。周辺には約60の樹型が分布しています。

吉田胎内樹型の内部は原則非公開で見ることができませんが、年に1度、4月29日に行われる「吉田胎内祭」の時だけ見ることが可能です。

洞穴は全長14.5m。天井には滴のように垂れ下がる溶岩鍾乳石があったり、底面には溶岩石筍があったりと見所が充実しています。吉田胎内祭を見計らってぜひ足を運んでみてください。

構成資産No23.人穴富士講遺跡

人穴富士講遺跡は、人穴浅間神社の境内にある遺跡です。人穴浅間神社は全国にある浅間神社の一社で、木花咲耶姫命や徳川家康が祀られています。

また富士講の開祖・長谷川角行が修行した洞穴「人穴」があるのも特徴。この人穴は、約7000年前の富士山の噴火によって流れ出た溶岩で誕生したとされる全長83mの溶岩洞穴です。ここで長谷川角行は、角材の木口の上に1,000日の間立ち続けるなどの苦行の末浅間大神の啓示を得たと伝えられています。

そして遺跡には、富士講信者が造立した約230体の碑塔群もあり見応え満点。ほとんどが18世紀末から19世紀前半のものとされています。ちなみに1番古い石仏は、洞穴内にある1664年(寛文4年)のものです。

現在は人穴、碑塔群共に敷地内への立ち入りは禁止されていますが、周りから見ているだけでも十分楽しめます。富士講と密接に関わりのある人穴富士講遺跡。構成資産を巡るなら外せないスポットでしょう。

構成資産No24.白糸ノ滝

白糸ノ滝は、富士山の湧き水よりできた滝です。日本の滝百選に選ばれているほか、国の名勝・天然記念物に指定されています。

白糸ノ滝は、16世紀から17世紀に富士講の開祖といわれている長谷川角行が水行を行っていたとされ、富士講を中心に多くの人々の巡礼や修行の場とされてきました。この様子は富士講信者の描いた絵図や、今も残る石碑などで確認することができます。

下から見るとより迫力を感じ、左手に見える太い水の筋が上流の猪之頭湧水群から流れてくる川の水で、幅広く溶岩の断層から流れ落ちているのが富士山の湧き水。水量は毎秒1.5トン、幅は約150m、高さは20mです。

いくつもの筋となって流れ落ちる滝は絹糸を連想させ、美しさとやさしい景観が広がり、名前の由来にもなりました。その景色に心打たれた1人に源頼朝がいます。彼は周辺に立ち寄った際、白糸ノ滝を題材にした歌を詠んだとされています。

近くには「音止めの滝」と呼ばれる名瀑もあるので、ぜひ一緒にこの自然美をお楽しみください。

構成資産No25.三保松原

三保松原は、富士山頂から南西約45kmの場所に位置しており、構成遺産のなかで最も遠くにあります。海岸線には約3万本の松が生い茂り、三保半島とクロマツ越しに望む富士山はまさに絶景。その景色の美しさから、日本新三景のひとつに選出され、国の名勝にも指定されています。

三保松原から見る富士山は、日本最古の和歌集「万葉集」で詠われて以降数々の和歌の題材になりました。また、能楽作品「羽衣」の舞台になったり、江戸時代末期の浮世絵師・歌川広重がによってその姿を描かれたりと、日本の伝統的文化や芸術の源泉として広く親しまれ、構成資産のひとつとなりました。

今日でも三保松原から見る富士山は絶景そのもので、多くの芸術活動の源になっているほか、富士山を通して日本の伝統を紡ぐ大きな役割を果たしています。

構成資産をいくつも巡り、遥か昔から日本の文化や日本の人たちと密接に関わってきた富士山を知った時、三保松原から見る富士山は一体どんな見え方をするのでしょうか。

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