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詩人・金子みすゞ詩の小径を辿る日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」の旅~下関~

WRITER:asoview!編集部
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「関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~」が日本遺産に登録されたのは、平成29年(2017年)4月のことです。大小さまざまな船が行き交う関門海峡。その異国情緒あふれる景観の中、関門地域には今も、日本が近代国家建設へ向けて躍動した時代のレトロな建造物群が残されています。渡船や海底トンネルを使って両岸を巡れば、そこで出合うことができるのは、映画のワンシーンのようなノスタルジックな街並み。まるで時が停止したかのような、不思議な感覚を味わうことができるでしょう。日本遺産の観光案内人が皆様を素敵な旅へとご案内します。

大正末期から昭和初期にかけて活躍した下関ゆかりの童謡詩人・金子みすゞ。26歳で亡くなるまでに、代表作の「私と小鳥と鈴と」「大漁」など500編あまりもの詩を綴ったとされます。死後50年以上たった1984年に、遺稿集が「金子みすゞ全集」全3巻として出版されると、瞬く間に有名になりました。みすゞが働いていた上山文英堂の支店があった「商品館跡」や、みすゞが一時暮らしていた場所で、終焉の地でもある「上山文英堂本店跡地」、みすゞに関する展示コーナーがある「旧秋田商会ビル」など、金子みすゞの足跡を、日本遺産を交えながらたどります。

引用元:関門"ノスタルジック"海峡~時の停車場、近代化の記憶~

モデルコース(所要時間:2時間~4時間)

下関駅 →徒歩15分→ 山陽ホテル跡 →徒歩8分→ 蜂谷ビル →徒歩8分→ 山口銀行旧本店 →徒歩5分→ 日本銀行西部支店跡 →徒歩約2分→ 金子みすゞ終焉の地(上山文英堂本店跡地) →徒歩3分→ 中国労働金庫下関支店 →徒歩5分→ 田中絹代ぶんか館 →徒歩1分→ 旧宮崎商館 →徒歩1分→ 商品館跡 →徒歩5分→ 下関南部町郵便局庁舎 →徒歩1分→ 旧秋田商会ビル →徒歩2分→ 旧下関英国領事館 →徒歩1分→ 関門ビル →徒歩3分→ カモンワーフ

下関駅の振鈴

明治時代後期に、列車の発車を知らせるために使われていた大型ハンドベル。現存する実際に使用されていた手振りの振鈴は下関駅のものだけと言われ、JR西日本の登録鉄道文化財に指定されました。平成18(2006)年の下関駅火災で焼失したと思われていましたが、数日後に発見されて下関駅復興のシンボルに。今では振鈴のレプリカが、駅2階の東西連絡通路に飾られています。

山陽ホテル跡

明治35(1902)年に開業。大正11(1922)年の火事で全焼し、大正13(1924)年に再建された山陽ホテル。昭和20(1945)年に営業を終えましたが、建物はその後も国鉄の事務所などに利用され、平成23(2011)年までは残っていました。山陽ホテルの女性従業員のユニフォームは、紫の着物と袴だったため「紫の君」と呼ばれ、市民の憧れの的でした。現在、下関警察署の向かいに山陽ホテル跡の碑が立っています。

蜂谷ビル(旧東洋捕鯨株式会社下関支店)

旧東洋捕鯨株式会社下関支店として大正15(1926)年に建設。以降、捕鯨活動の拠点となった文化財です。外壁はモルタル仕上げ。煉瓦造の表面には、大正時代には高価だった煉瓦タイルが貼られています。当時のまま残っているのは、天井の中心飾り。今では再現が難しい手の込んだ細工が施されています。平成29(2017)年から一部が飲食店として使われていますが、店内の柱は昔ながらの面影を残しています。

山口銀行旧本店

大正9(1920)年、三井銀行の下関支店として建築。銀行建築の名手・長野宇平治の代表作で、煉瓦および鉄筋コンクリート造2階建て、地下1階。カーン式鉄筋コンクリート造というアメリカの構造形式を取り入れ、内部は柱のない広々とした空間に仕上げています。ファサードはルネサンス様式を基調。ローマ建築に由来する渦巻や葉の装飾を組み合わせた柱頭飾りを持ち、美しいレリーフのように彫り出された柱形も見事です。保存修理工事で復元された、営業室や客溜の高い吹抜にもご注目ください。

日本銀行西部支店跡

西部支店は、明治26(1893)年に国内で2番目にできた日銀の支店。大阪以西の金融が円滑に流れることを目指し、初代の支店長には高橋是清(のちの第7代日銀総裁、第20代内閣総理大臣)が就任。その功績を後世に残すべく、平成25(2013)年には西部支店跡地に顕彰碑が建立されました。

金子みすゞ終焉の地(上山文英堂本店跡地)

大正12(1923)年、20歳の金子みすゞが生まれ故郷の仙崎から移り住んだ地です。結婚したのち、昭和5(1930)年に26歳で亡くなったのもこの地でした。

中国労働金庫下関支店(旧不動貯金銀行下関支店)

昭和9(1934)年に竣工した、画期的な免震構造を持つ旧不動貯金銀行。鉄筋コンクリート造3階建て。戦前の銀行建築では威厳のある重厚な石造りが好まれていましたが、この銀行は西欧の古典主義風の建築スタイルを踏襲。玄関の両脇に立つ古代ローマ建築の神殿のような太い列柱が、風格を醸し出しています。さまざまな銀行を経て、平成15(2003)年からは中国労働金庫下関支店になりました。

田中絹代ぶんか館(下関市立近代先人顕彰館・旧逓信省下関郵便局電話課庁舎)

電話需要の増加に応え、逓信省が全国の主要都市に建設した局舎の一つ。大正13(1924)年から昭和41(1966)年まで電話局舎として使用され、昭和44(1969)年に下関市の所有になりました。歴史的建造物に見られる柱頭飾りがなく、フルーティング(縦方向の溝彫り)がある列柱に、建築様式の推移が伺えます。現在は、田中絹代をはじめ、下関にゆかりある文化人を顕彰する施設として公開されています。

旧宮崎商館

石炭輸出業の商館として明治40(1907)年に建設。戦後は生命保険会社や化粧品会社の事務所を経て、昭和40年代からは長年美容室として使われていました。平成20(2008)年に改修工事が行われ、現在は2階の一部に下関市出身の女優・木暮実千代の資料を展示し、第一土曜日の午後1時~4時のみ開放しています。旧下関英国領事館とよく似た赤い煉瓦と白い石材を組み合わせたファサード、2階の5連アーチなどが特徴です。

商品館跡(上山文英堂支店)

金子みすゞが働いていた場所です。みすゞは勤めながら、この時期にたくさんの詩を創作しました。上山文英堂は、最盛期には大連・営口・青島・旅順ほか市内に3つの支店を持つ西日本屈指の書店でした。

下関南部町郵便局庁舎(旧赤間関郵便電信局)

明治33(1900)年に竣工した煉瓦造2階建て。日本に現存する最古の現役郵便局舎です。設計者の三橋四郎は、東京駅の設計で有名な辰野金吾を師とする第二世代の建築家。日本人による本格的なルネサンス様式の庁舎としても注目されました。建物は完全に左右対称のコの字型で、1階にアーチ窓、2階に上部に三角形のペディメントがある窓が整然と並び、端正な様式美を映し出しています。

旧秋田商会ビル

明治38(1905)年、秋田寅之介が設立した秋田商会は、日清・日露戦争時に飛躍を遂げた総合商社。旧秋田商会ビルは、大正4(1915)年に社屋兼住居として建てられた、国内最初期の鉄筋コンクリート造事務所建築です。1階は洋風建築で、2・3階は書院造を取り入れた和風建築。屋上には、茶室のような離れと樹木を配した庭園があります。時代を先取りした当時最新の設備や意匠などにご注目ください。

旧下関英国領事館

明治34(1901)年に下関初の領事館が開設され、明治39(1906)年に現在地に新築移転。領事館として使うために建設された中では現存最古の建物で、国の重要文化財にも指定されています。赤い煉瓦壁と白い石材の帯が特徴的なクイーン・アン様式が特徴。本館と附属屋の両方が残っているのは珍しく、異国情緒あふれる当時の様子がしのばれます。平成26(2014)年にリニューアルし、1階には領事室を再現。2階は英国風カフェ&パブ、附属屋はギャラリーになっています。

関門ビル(旧関門汽船株式会社)

昭和6(1931)年、関門汽船株式会社が事務所として建設したビル。鉄筋コンクリート造で、歴史的なデザインは影を潜めたアール・デコの建物です。2つの道路に面しており、建物の角を切り落としたような隅切りの構造が特徴。関門ビルが立地する唐戸交差点には、明治、大正、昭和初期の建物が立ち並び、エリア全体が近代建築の博物館のようだとも言われます。


カモンワーフ


関門の海の幸を使ったレストランや土産物店などが立ち並ぶシーサイドモール。関門連絡船の唐戸乗船場のすぐそば。唐戸市場と市立しものせき水族館「海響館」の間に位置する観光拠点でもあります。

■日本遺産の観光案内人に関する詳しい情報はこちら!
関門"ノスタルジック"海峡
~時の停車場、近代化の記憶~
https://www.japanheritage-kannmon.jp/pr/navigator.html